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 山形大学地域教育文化学部の歴史的変遷

 

母校の始まりは、今から約150年前の明治11年(1878)に遡ります。

明治9年に初代県令となった三島通庸は、当時の文部省の県立師範学校設置の方針に呼応し、直ちに山形県師範学校創立の計画を立てました。そして2年後の明治11年9月、新校舎は完成し、山形における教育の担い手育成が始まるのです。

暫くして、手狭となった校舎は移されることとなり、明治34年には緑町に新築された新校舎(馬畔校舎)へと変わります。歴史的建造物としても価値の高いこの校舎の一部は、現在は教育資料館(県立博物館分館、国指定重要文化財)となり、護り活用されています。

そして、多くのすぐれた教育者を輩出しながら、激動の時代を過ぎた戦後、学制改革で山形大学教育学部が誕生することとなり、一旦はこの校舎が使われますが、その後は現在の小白川キャンパスへと移されます。

 

さらに、平成17年には、従来の教育学部から地域教育学部と改まり、現在に至っているのです。

 母校の創設から今日の山形大学地域教育文化学部に至るまで

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